春を想う

 

わたしが元々大好きで応援していた推しは、今年の3月31日に、所属していたボーイズユニット及び所属事務所を卒業し、芸能活動を辞めた。

わたしが彼を応援し始めてから、あと少しで1年が経とうとしていた頃の出来事だった。

 

こんな状況だから、もちろん卒業ライブなんて開催されず、最後の仕事は、彼がレギュラーを務めていたラジオ番組だった。

全国のファンが等しく聴けるラジオという媒体で終わりにするのは(地域によっては課金が必要だが)、『なるべくみんな平等に』を意識していた彼らしい最後だった。わたしは、そんな形で終わらせるところも結果的に彼らしい最後で、好きだなぁと思った。

 

卒業までの期間、わたしは後悔しないように、「最後までやり切った」と言えるように過ごすことに注力した。

万が一SNSが消されても振り返ることができるように、必死になってバックアップを取った。

彼の所属事務所のモバイルサイトには、有難いことに所属タレントにメールを送る機能がついていたので、字数制限ギリギリまで打ち込んだ重たいメールを送った。

最後だし、と読みやすい文章や枚数なんて無視して書き殴った手紙も送った(厚さのある便箋を使ったとはいえ、封筒が馬鹿みたいに分厚くなって笑った)。

 

卒業後、結局消さずに遺してくれたSNSから発信してくれることはあったものの、ぽつりと日常を呟くそれは、もう一般人としての投稿だった。そこには、わたしの好きだった、彼の歌声や、彼がダンスをする姿は、もう無い。

彼を推していたのだから、もちろん彼の幸せを願うけれど、わたしはもう以前のような"好き"を彼に向けることはできないと悟った。わたしは薄情な人間だな、と思った。

そして、夏が始まる少し前にやってくれた生配信で、「便りがないのは元気な証だと思って」と笑いながら語ったのち、SNSの更新がほとんど途絶えた。

きっとどこかで元気にやっている。彼は才能と好奇心に溢れた人だから、アイドル以外にも興味のあることや、やってみたいことが沢山あるはず。

いつか、この広いようで狭い街を飛び出して、世界に羽ばたいていくのかもしれない。わたしがそれを知ることはないけれど。

もう彼は芸能人ではなくなった。ボーイズユニットで活動していた彼はもう更新されず、この世に存在しなくなった。

彼はもう一般人で、赤の他人で、一生会うことの叶わない人になった。

世界が以前のように戻ったとしても、もう会えない人になった。

 

 

 

 

 

 

 

推しが卒業してすぐに、新しい推しが出来た。

綺麗な顔だな、って興味を持ったが最後、いつのまにか気になる人になって、好きになっていった。

そして、この人が好きで、"推し"って言いたいって思う決定的な出来事があって、「わたしの推しです」って1人で勝手に宣言したりもした。

わたしはこの人を推すことにした。 - なまえが定まらない

彼を推していて幸せだし、今とても楽しい。

 

 

新しい推しとは、一度も会ったことがない。

有難いことに電話やビデオチャットをする機会には恵まれたが、生身の推しと対峙したことはない。

だから、わたしにとって新しい推しは、会えないことが当たり前の人だ。

 

会ったことがないということは、直接会えて、握手したり、言葉を交わしたり、現場でライブを見たり、という喜びを知らないということだ。

知らないということは、幸福だ。

その幸せを知っていたら、次いつ会えるかも分からない今を生きるのは、きっとものすごく辛く苦しい。

きっと今、そういう会いたいのに会えない苦しみの中で生きている人が、沢山いるんだろうな、と思う。

その気持ちを想像すると、あまりにも痛くて苦しそうで、怖くなってしまう。一刻も早く、そういう人たちが会いたい人に会える世界になるようになるといいな、と思う。

 

わたしの推しは、もう二度と会えない人と、会えないことが当たり前の人。

だから、会いたい人に会えないこんな残酷な世界でも、わたしは平気な顔で生きていられる。

 

今は皆等しく会えず、イベントなどは全てオンライン上で行われるから、スケジュールさえ合えば、あるいは当選さえすれば、"参加できない"ということは起こらない。

わたしの行けないイベントが、ほとんど発生しない。推しの姿を取りこぼすことは、ほとんどない。

 

いつか、会えないことが当たり前の人が、会える人になったら、わたしはどうなるんだろう。

新しい推しは、平常時ならば、日本全国どころか、時には海外でも活動がある。自分の生活を守りながら全てを追いかけることは、不可能だ。行けなかった、或いは行かなかった現場が、それはもう今とは比べ物にならないほど出てくる。

 

そうなった時、わたしは、それでも好きと言えるだろうか。

自分が見るのことのできなかった姿があることを、わたしは耐えられるだろうか。

 

来年の春が、すこし怖い。

新しい推しと出会った今年の春から1年後の未来で、薄情で最低なわたしは、ちゃんと彼を好きなままだろうか。

 

わたしは、来年の春も、その先も、ずっと好きだって言い続ける未来を信じたい。

来年の春、わたしは念願の現場に行って、彼が画面の中じゃなくて、大きな会場でアイドルをやっている姿をこの目に焼き付けるんだ。

現場に行ける世界に戻るまでに、わたしなりの応援の仕方を、わたしの生活との両立を、見つけていきたい。

彼がアイドルで在り続ける限り、ずっと応援していたいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前の推しを卒業まで見送ったが、ひとつだけ後悔していることがある。

それは、一度も名乗らなかったこと。

何度も握手をして話をしたのに、彼も「この人そこそこ現場にいるなぁ」程度にわたしの存在に気づいていたはずなのに、一度も名乗ることができなかった。

賢い彼の事だから、わたしの名前を知っていたのかもしれないし、そんなのわたしの都合の良い幻想なのかもしれない。

今まで「最後までやりきった」と言って自分の気持ちを誤魔化してきたけど、やっぱり後悔している。彼を推している最中は、あわよくば名前を呼んでほしいなんて自分勝手な気持ちを彼に向けることに抵抗があったけれど、この醜い気持ちを向けることすらできなくなった今、やっぱり心の中にわだかまりが残っている。

ねぇ、やっぱり名前を呼んでほしかったな。……なんて言葉にしたら、ちょっとだけ気持ちが軽くなった。

 

誰かを推すとき、「後悔しない」なんてことは難しいことなのかもしれない。

最後なんて考えたくないけど、最後が突然訪れることを知ってしまったわたしは、たまに最後に想いを馳せる。

やっぱり、その時が来た時にできるだけ後悔しない推し方をしていきたい。でも、後悔しないことはきっと無理だから、最後に残ったグズグズに燻る気持ちも認めてあげられるように、推していきたい。

 

ねぇ、あなたを推すことができて、本当に楽しかったです。

新しいあなたの思い出が更新されなくなった今、いつまでも同じ熱量で好きでいられない自分が嫌になるけれど、賢いあなたは、たぶんオタクの心変わりなんてそんなもんだって分かってるし、そうじゃない人もいることを分かっていそうだね。そのことについて特に何も思わないんだろうな。何も思わずにいてくれたらいいな。

あなたのその綺麗な歌声が大好きでした。よくいろんな歌手の声帯を羨ましがっていたあなただけれど、あなたの声だから好きだったんですよ。あなたのダンスも好きでした。あまりにも滑らかで突っかかることのない心地良すぎる話し方も大好きでした。

どうか幸せに生きていてください。さようなら。