春を迎えに
2022年1月。推しに伝えた今年の目標は「いっぱい(当社比)遠征する」だった。伝えた当時、次の現場の予定はなかった。
北国と本州は、近いようで遠い。
ずっと北国で生まれ育ってきた人間にとって、海を隔てた土地は、全部遠い世界のことだと思っていた。
目標を伝えてから少し時間が経った頃、全国ライブハウスツアー第1弾が発表された。
推しが行く場所は、岡山、鳥取、島根。ぜんぶ遠い。どうやって行くのかもわからない。遠い遠い世界の、わたしには無関係な話だと思った。
でもまた会いたくて、去年の秋の月夜に、初めて現地に足を運んだ公演が忘れられなくて、金曜日の電話だけじゃ物足りなくて。だからわたしは会いにいくことにした。
また直接推しに会いたかったし、何より「行こう!」と声をかけてくれる友達がいたから。あの時声をかけてもらえなかったら、足を踏み出してなかったら、きっと今でもほとんどの現場は、わたしにとって無関係な話のままだったろうな。
仕事の都合で基本2連休までしか取れないので、2日間で行って帰って来られる地域と移動手段はないものかと頭を悩ませ、岡山公演なら行けるかもしれない、と結論を出した。
ホテルや航空券、そしてライブのチケットと特典券を手配したものの、不安でいっぱいだった。
本当に行けるのだろうか? 仕事が長引いて飛行機に間に合わなかったら? 3月に遠征なんて無謀なのでは? まだまだ暴風雪が不安な時期に、電車も飛行機も無事に動く保証なんてないのに? 辿り着けなかったら連番してくれる友達に迷惑をかけてしまうのに?
またちょこぼのライブを見られるんだという喜びと、本当に行けるのだろうかという不安を抱えて、遠征当日を迎えた。
朝、駅のコインロッカーに旅行鞄を隠し、何食わぬ顔で仕事へ向かう。仕事中も心の中は落ち着かなかった。仕事は無事に定時退勤できた。職場の人たちは誰も知らない、わたしがこれから岡山へ向かおうとしていることを。
ロッカーから鞄を回収して、電車に飛び乗り、空港へ向かう。天気も悪くない。電車は定刻運行。大丈夫、順調に進んでいる。
無事に空港に着いて、飛行機にも間に合った。
定刻より遅れて大阪にたどり着き、終電ダッシュしてぎりぎりまで移動し、一旦ホテルで休む。明日の為にと新調した濃紺のマニキュアで爪を染める。睡眠時間を削ってまでやることだろうか、と思いつつ。
翌朝、睡眠もそこそこに駅へ向かう。新幹線に乗るのはいつぶりだろうか。滅多に使わない乗り物は緊張するし、わくわくする。年甲斐もなくそわそわしながら、岡山行きの新幹線に乗り込んだ。
岡山には、案外あっという間に着いた。ひたすら乗り物を乗り継ぎ、ホテルでひと休みし、また乗り継いでいったら、着いた。どうやら日本っていうのは、遠く離れた土地へもちゃんと移動できるらしい。
無事に友達とも合流できた。ちょこぼがいなかったら絶対に出会うことのなかった2人が、お互い縁もゆかりもない土地で待ち合わせる。オタクって面白いなぁ、出会えてよかったなぁ。
岡山は暖かくて、もう春が来ていた。北国から着てきたダウンは鞄に仕舞い込み、春物の上着を羽織った。
初めて推しに会いに行った時に「春になったらまた会いに行く」と伝えたそれを、実行できたのだと嬉しい気持ちになった。長い冬が終わり、やっと春が来たんだ!
物販に並んで、チェキくじで推しを引けたとか友達の推しが引けたとか誰々の写りが良いとかで盛り上がって、近くの公園でチェキを並べて遊んだりした。
街路樹には花が咲いていた。春だ。
ライブは最高すぎた。ご覧の通りセトリが神。プロデューサー様、流石です。
MC中、くだらないことで笑い倒して、涙が出るほど笑っちゃって、そのまま次の曲(それも多幸感いっぱいの定番曲)に行って、ステージでみんな笑ってて。この瞬間にいられてすごく幸せだな、と思った。ここにいられてよかった。
その後の特典会でも、きっとわたしだって分からないだろうから自己紹介する気満々で向かったのに、そんな必要はなかった。アイドルってすごい。
終演後は友達と別れを惜しみながら夜遅くまで喋り倒し、各々ホテルへと戻った。
翌朝。名残惜しいけど帰らなくちゃ。来た道を引き返していく。
新幹線の出発時刻までの僅かな時間で、お土産を物色する。初めて来た土地のお土産屋さんは、見たことのない美味しそうなお菓子がたくさんでとても楽しい。
あれもこれもと手を伸ばしそうな浮かれた心を律し、厳選したきびだんごとチョコレートを買う。鞄の僅かな隙間に捻じ込んだ。*1
新幹線と電車と飛行機を乗り継ぎ、ほとんど1日をかけて北国へ帰ってきた。朝10:00に岡山を出発して、こちらの空港へ着いた時には夕方を過ぎていた。
空港から街へ向かう電車の車窓からは、当たり前のように見慣れた真っ白い雪景色が広がっていた。こちらはまだ冬が続いていた。
帰宅した部屋の寒さに辟易としながらも*2、無事に帰って来れたことに安堵した。
たったひと晩と2日家を開けただけなのに、久しぶりに帰ってきたような気がした。長い長い旅だったようだ。
北国に極力引きこもって生きてきたわたしにとって、岡山への遠征は大きな一歩だった。遠出はあまり肯定されていないような気がするこんな世界だけど、わたしは会いたい人に会うために行きたい場所へ行けるし、ちゃんと帰って来られる。
これくらいの出来事、他人にとっては些細なことだろうけれど。石橋を叩きまくっても結局渡らないくらい慎重で臆病なわたしにとっては、大きな一歩だった。
この日を境に、わたしの世界は少しずつ変わっていった。
イベント前日に思い立って飛行機やホテルを手配して推しに会いに行ったり、いろんな土地へ行ったり、姉から始発の飛行機で帰ってそのまま出勤するという荒技を教えてもらったり、朝帰り出勤を何度か決行したり。
わたしの行けた現場なんて、開催数と比較すればほんの僅かだけれど。わたしにとっては想像もしてないくらいにたくさん行けたと思っているし、ひとつひとつに楽しくて幸せな思い出が残っている。
今年は何回飛行機に乗れるかな、なんて思いながら、去年より少し早めに春を迎えに、今、飛行機に乗りながらこの日記を書いている。そちらはもう春は来ている? それともまだ冬?
そして今年は、北国が遅い春を迎える頃に、向こうが会いに来るらしい。わざわざこんなアクセス最悪な場所に、なかなか攻めた時期にやって来るなんて、とか考えながら浮かれた気持ちをなだめている。未だにちょっと信じられなくて、上手に喜べていない。春になったら実感するかな。
ひとまず今日久しぶりに会えることを楽しみに、飛行機を降りた。